【度胸がついた】大学1年生の夏休みにヒッチハイクした話

ヒッチハイク 考えた事

記事の内容
大学1年生の時にヒッチハイクをして度胸がついた話

こんにちは!Yutaです!

今回の記事では、大学1年生の時にヒッチハイクをして度胸がついた話を書こうと思います。

このヒッチハイクは自分の大学生活の原点になっていると思っています。本当にやって良かったです。

では、さっそく書いていきます!

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大学1年生の時にヒッチハイクをした理由

まず、どうしてヒッチハイクをしたのかを説明します。

大学1年生の夏休みって、国内旅行をしたり、海外に行ったりするんですよね。でも自分は、夏休みの前半は大学の授業があり、後半には自動車学校に通っていました。それで、気づけば夏休みは残り1週間。9月の終わりです。

「やべ〜。何もしないで終わっちゃうなぁ〜。」って少し凹んでました。僕も何か面白いことがしたいなぁ。って感じで。

そんなとき、驚くべき情報が入りました。それは、画家の小松美羽さんがライブ・ペイントを秋田市でするというのです。

小松美羽さんは迫力があり独特な絵を描く方です。小松美羽さんの作品に惹かれ、何としても1度、ライブ・ペイントを見てみたいと思っていました。

当時自分の一人暮らしをしている場所は仙台です。秋田市に行くには長距離バスに乗るのが普通です。でも当時の僕は、「お金がもったいないし、暇だからヒッチハイクをしよう」と決めたのでした。

実際にヒッチハイクをした時の話

ヒッチハイク開始まで

その時は朝の9時です。近くのコープに行って、黒の染髪材を買い、アパートで染めました。当時金髪だったので、黒髪にしておこうと思ったのです。

それで色々と準備をしていたら、時刻は午後1時。これが僕のヒッチハイクの始まりでした。(ただの計画性の無い馬鹿ですね。)

仙台から秋田に行く高速道路で、自宅から最も近いインターチェンジまで電車で行き、そこでヒッチハイクを開始しました。

最初に乗せてくれた2人

まず強烈に覚えているのが、この最初のヒッチハイクの恥ずかしさです。

スケッチブックに秋田って書いて、それを掲げます。これがメチャクチャ恥ずかしい。見知らぬ人に向かって、「乗せてください!」ってアピールしたこと無かったですから。普通ないですよね?

最初の30分くらいは赤面しながらやってました。でも、人って慣れるんですよね。だんだんスケッチブックを横に振ったり、踊りながらアピールし始めました。

そしたら段々反応がよくなってきて、それまで見向きもされなかったのに、笑顔をむけてくれたり、「がんばれ!」って言われるようになりました。

そんなこんなで1時間くらい粘ってたら、何と急に目の前で車が止まってくれました。

最初状況が理解できなくて、「この車故障したのかな?」とか思いました。で、ボケーっと車を見てたら、『乗りなよ!』って言われて、やっと状況を理解し、初めてのヒッチハイク成功になりました。

乗せてくれたのは2人組の工事現場関係の作業員の方々でした。片方は自分より2歳上で、もう片方は30歳後半くらいだったと思います。

「なんでヒッチハイクしてるの?」とか、「君は一体何者なの?」みたいな感じで話始めて、スグに打ち解けました。なぜか相手の家族とビデオ電話をしたりしました。謎ですね。

ちなみに、高速道路に入ると思ってたんですけど、お二人は宮城県内在住で、高速道路を使わない人でした。なので、秋田までは下道でヒッチハイクをすることになりました。インターチェンジに来た意味は無かったですね。

まぁ、そんなこんなで楽しく過ごして、宮城県の北の方で降ろしてもらいました。次のヒッチハイクが出来るようにコンビニで降ろしてもらって、そこでお別れをしました。去っていく車に、お辞儀をしたらクラクションをならしてくれました。忘れられない風景でした。

2回目に乗せてくれた女性

さてコンビニで降りたわけですが、次のヒッチハイクをしなければなりません。というのも時刻は午後5時過ぎで、コンビニの周りには泊まれそうなところが有りません。スグにでもヒッチハイクしてネカフェとかに行かないと、寒くて死んでしまうと思いました。

あまりにも暗くなってしまい、スケッチブックの文字が車からは見えなくなってしまいました。そこでコンビニで懐中電灯を買い、その明かりをスケッチブックに向けました。コンビニの駐車場の入り口より前に立って、車が止まりやいように工夫しました。

30分くらいしたら、「お〜い」って後ろから声が聞こえてきます。振り向くと手招きしている女性がいて、なんと今度は30分でヒッチハイクに成功しました。

女性は確か23歳で、その年に大学を卒業し、新卒で働いている人でした。凍えた体が温まる車内でした。ジブリの音楽がかかったのを覚えています。

お互いの自己紹介をしたり、色々な話をしました。その人は大学生の頃に色々な場所に旅行にいったそうで、オーロラを見に海外に行った話をしていただいたのを今でも覚えています。

で、話をしていると、「実は私の家は、料理屋さんを経営してるんだよね。ご飯一緒に食べよう!」って言ってくださり、なんと夜ご飯をご馳走になりました。

鉄兵衛のご飯
ご馳走になったご飯

本当に美味しかったです。ありがとうございました。

『鉄兵衛』というお店です!ぜひ行ってみてください!

そしてなんとわざわざ一関のネカフェまで送ってもらいました。

この女神様のような女性のおかげで、1日目で岩手県に入ることができたのでした。

そして、ここでお別れをしたのでした。

ネカフェに宿泊

これが人生で初めてネカフェで寝た日です。その日の出来事を忘れたくないと思って、スケッチブックの裏にメモしましたね。今そのスケッチブックはどっか行きました(笑)

で、薄い布団をかけてその日は寝たのでした。

3回目に乗せてくれた男性

翌朝、マックでコーヒーを飲んで、一関のコンビニの入り口前でヒッチハイクを再会しました。

秋田って書いてヒッチハイクしたのですが、どうしても出来ません。確か1時間半くらい粘ったのですが、ダメでした。

困り果てて、飲み物を買うついでに、コンビニでアドバイスを尋ねました。

「どうしてもヒッチハイク出来ないんですけど、どうしたら良いですかね?」

「多分、秋田って書くより、秋田と岩手の県境にある温泉の名前書いたら良いんじゃないかな?」

アドバイスを頂いたとおりに温泉の名前を書いて、ヒッチハイクを再開しました。

20分後。1台の軽トラックが止まり、ヒッチハイクが成功しました。

その人は中年の男性で、ヒッチハイクの人を載せるのは人生で2度目だと言っていました。色々な話をしながら、温泉の方へ向かいます。それで温泉についたのですが、どうも秋田ナンバーがありません。

「これ多分誰も秋田の人いないね。もう少し秋田の方に乗せてくよ」

と言っていただき、ご好意に甘え秋田方面に山道を進んでいきます。すると目の前を秋田ナンバーの1台の車が走っていました。

「この車の人に聞いてみようか」

そう言って、その車を追い越して、路肩駐車し車をでて、、追い越した車に止まってくれるように合図をしました。

事情を話したのですが、その車に乗っていた、おじいちゃんとおばあちゃんは、秋田方面とは別の方向に行くそうでした。ですので、引き続き秋田方面に車を走らせて、道の駅で降ろしてもらいました。

4回目に乗せてくれた、おじいちゃん、おばあちゃん

道の駅で撮ったのが下の写真です。

秋田県の地図
秋田県の地図

本当に山の中です。とりあえずトイレに行って、一息つきました。これからどうしようかな?と色々考えながら、道の駅をうろうろしていると、

なんとそこには、さっきのおじいちゃんとおばあちゃんが。。

「あれっ?なんでここにいらっしゃるんですか?」

「あぁ〜いたいた。乗ってけ!」

なんと何故か、違う方向に向かったはずの、おじいちゃんとおばあちゃんに乗せてもらうことになりました。

「さっきヒッチハイク断ったでしょ?でも、うちの母ちゃん(おばあちゃん)が、さっきの子(僕)が心配だ。って言って、あなた(僕)を乗せようって話になって、こっちの方に探しに来たんだよ。」

本当に驚いたし、ありがたかったです。カルピスもいただいて、喉を潤しながら、お二人と会話を楽しみました。おじいちゃんは昔、タクシードライバーをされていたそうでした。

実は会話の中で困ったことがあって、おばあちゃんの秋田弁が強過ぎて、会話の30%くらいしか理解できませんでした。なので、おじいちゃんがおばあちゃんの言葉を通訳してくれて、3人で会話をしたのでした。

なんと県境から、大曲駅まで送っていただいて、ヒッチハイクが一気に進みました。

大曲で別れを告げて、おじいちゃんとおばあちゃんとお別れしました。

もう一回ヒッチハイクしてもよかったんですけど、さっきのヒッチハイクを最後にしました。何だか、自分の中に充実感が溢れたし、さっきのおじいちゃんとおばあちゃんのヒッチハイクをこの旅の最後にしたいとおもったんですよね。

大曲駅から、秋田駅まで電車をつかって向かいました。

大曲駅
大曲駅

実際に見に行ってみて

秋田の神社
秋田市の神社

秋田市の観光をしたり楽しんでいたら、なんと小松美羽さんが駅の近くを歩いていました。「サインをお願いしたい!」って思ったんですけど、迷惑かなと思ってやめました。

翌日はイベントの日で、念願のライブペイントを見ることができました。実際に見に行ってみて感動しました。なんだか胸にこみ上げるものが有りました。

そしてイベントが終わったら秋田駅からバスで仙台市に帰ったのでした。

ヒッチハイクをして度胸がついた

今思い返せば、このヒッチハイクが僕の大学生活の原点になっていると思います。ここで度胸がついて、何でもチャレンジする精神がついたと思うのです。

ヒッチハイクをすれば何処でもいけるし、ネカフェに泊まることだって出来る。どこでも自分は生きていけるんだと思いました。

一人で国内、海外に旅に出たのも、留学したのも、この経験があったからだと思います。何というか、フットワークが軽くなりました。

あのときヒッチハイクに挑戦して良かったなぁと思っています。

まとめ

日本は安全といえど、ヒッチハイクをしましょう!とは書きません。やはり、知らない人の車に乗るので、危険も覚悟しなければならないからです。

ただ、2人組でやってみるとかなら危険度も下がるだろうし、色々工夫をしてみるみれば大丈夫かなと思います。

色々なことに挑戦してみれば、何か学びがあると思います。ぜひみなさんも何か新しいことにチャレンジしてみてください。

乗せてくださった方々へ

ここで、乗せていただいた方々に感謝の気持ちを書こうと思います。

あの時は乗せて頂きまして、ありがとうございました。あのヒッチハイクの経験のおかげで何事にもチャレンジすることができていますし、自分の中でずっと忘れない思い出になりました。

またどこかで会えましたら、お話をしましょう!

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